とにかく金色は美味しそう

今日のご飯はちょっと良いインスタント塩ラーメン。

 

鍋ににお湯を沸かして麺とスープを入れて

 

乾燥わかめと卵を入れて暫く待つ。

 

ひと鍋でつくるかなりの一人暮らしラーメンです。

 

茹で上がったらネギとバターを載せて鍋のまま食べます。

 

塩ラーメンとバターは最高の組み合わせだといつも思っています。

 

スープの上にバターが溶け出すと、金糸で織られた帯の様に、異なる2つの金が美しい深みのある色を描いています。

 

実際口に含むと、バターの濃厚な味をスープが風の様にまとめてさらっていくので、

 

いくらでも食べてしまいます。デブまっしぐら。

 

カンタンな食べ物をグレードアップして食べるととても美味しい。

 

様々な人が美味しいさを極めたスープが元なわけですから美味しくないわけないんですけどね。

 

のせただけなのにおいしくなるって幸せです。

自分の価値を再発見

1.いつもカバンに入っているものはなんですか?

スケジュール帳

自由帳

財布

名刺入れ

ボールペン

イヤホン

 

2.一日のスケジュールはどうやって決めていますか?

仕事の優先順位の順に

 

3.何をしている時に元気で楽しいですか?

ご飯、ケーキを食べている時

動物と遊んでいる時

散歩している時

未来を考えた時

デート

美味しそうな食材の組み合わせを見たとき

 

4.何にお金を使うと楽しいですか

ご飯、ケーキ、美味しいもの

食材

インテリア用品

食器

 

5.きちんと整理がついていること、ものはなんですか?

カバンの中身

しごと?

仕事場

 

 

6.口癖

ほんまに?

多分

逆に

なんで

 

7.いつも頭の中にあるものはなんですか?

彼氏

美味しいご飯

お酒

休み

読めてない本

転職

 

 

8.どんな夢を描いていますか?

親に家を買う

年に1回旅行

自由な働き方

制作活動ができる

 

9.スマホ、パソコンは一日どれくらい使いますか?

ほぼ一日中

 

10.今までどんなことに感動しましたか

野球の試合

美味しいご飯

病気の時の優しさ

お天気の休日

自分の制作物に心を動かしてくれた人

映画

音楽

 

 

とりにかくご飯が好きなことはよくわかりました。

制作活動を一ミリもしていない・・・

時間がほしい。

 

 

 

 

 

 

 

自分の長所

なかなか自尊心が高まらず、日々もがいています。

 

周りの人が怒るのは、私の低い能力のせいだとか。

自分と他の人の能力値が違いすぎて同じことが出来ない能無しなんだとか。

 

暗いにもほどがあることばかり考えています。

 

反省はしているはずですが、落ち込んで、自分を貶めている割に改善をして

自分を救うことをしていません。

 

今までちゃんと反省をしているつもりでしたが、何も変えられていなかったことがやっと理解できました。

怒っている人たちは決まって「今まで何度も言ったけど」といいます。

私の中で納得できていなかったから改善に至らなかったんだと思います。

自分が消化できているか、出来ていないかで言われていることの意味は全く違って聞こえました。

 

すいませんと言っても、怒られる。改善します。と言っても怒られる。

どうしろっていうんだと正直思っていました。

それは自分が招いた結果なんですよね。

 

向こうからすれば、何度も言っていることだし、すいませんと言っているならそろそろ改善しなさいよと言うことですね。

 

子供の頃からの癖で、怒っている人の言うことはまともに聞かない。という癖があることに最近気が付きました。

感情に任せて怒っている人の言うことをまともに受け止めていたら精神崩壊しますから、それも大切なことです。

 

ですが、感情に任せた暴言と、怒っている原因は別物です。

暴言だけはスルーして、原因を理解、分析して、納得出来たなら改善のために行動をしていきたいと思っております。実際は・・・なかなか出来ずにいますが・・・。

 

そこまで言わなくても・・・なんて思って反抗心と言いますか

腹立たしい気持ちが湧いてきます。

反論する準備も無いのに口をついて出る不用意な言葉で、より怒らせるというパターンがすっかり完成しています。

 

ただ、さんざん怒りを放ってくれた方のおかげで気がついたことがありました。

言い方は人生でなかなか聞く機会もないくらい強めですが、

私はそれに傷ついたと主張するばかりで、その方が傷ついていることを考えられていなかったのだとわかりました。

 

そういえば、思い当たることが沢山ありました。

バイト先でもこのような怒られ方をすることが多く、結果居心地が悪くなり辞めるパターンでした。

私は被害者のフリをして、そのような怒り方をする人物を心の中で責めていました。

でも逆に、そんな怒り方をしてしまうくらい私の態度が悪かったという側面も見えました。

 

どこに行っても言われたことを言われたとおりにやらないという不思議な新人でした。

なぜやらないのかというと、合っているのかわからなくて怖い、怒られたくない、

指示があってからでないと動きたくない、失敗して目立ちたくない、おせっかいなことをしたくない、という妙に高いプライドでした。

 

魅力的な人になりたい。と思って、いじめられっ子だった小学校、中学校を出てからは

なりたい人物像を思い浮かべて、そこに近づくべく振る舞ってきました。

しかし会社にはいってからは、1年目には、急な仕事、徹夜ロケ、分からなさすぎる現場、おいかける背中の無い不安、至らない自分、上司の罵声、という環境に影響を受けてすっかりひねくれてしまいました。

 

当時はクリエイティブに対して強いこだわり、面白いものを作りたいという想い(実力は別)、ひとつひとつ一生懸命に取り組みたいという想いを持っていました。

 

その中で日々かけられる言葉は、大体でいい、カンタンでいい、無くなってもいい仕事、ダサい、つまらない、出せたらいい、、、

一生懸命考えたり、時間をかけたりすることが馬鹿らしくなり、思考を停止しました。

全部上司が悪い、私は悪くない、私は仕事が出来ている、上司はできていない。

 

今まで、他人のせいにすることだけはやめようと想いながらすごしてきましたが

気がつかないうちに自分のルールまで破っていました。

 

思考を停止して、他人のせいばかりにしている私は、成長どころか後退していたのかもしれません。

面白い企画は考えられない、制作物は雑、スケジュールぎりぎりでの制作、報連相をしない、挨拶をしない、気をきかせない。

自業自得です。自信なんてあるわけもなく。

今私は何ができるのか、得意なのかわかりません。

すっかり萎縮した私は、より何も出来ないループに陥り、怯えながらも何もせず、

ただただ、人として落ちぶれていくだけの日々に落ち込んでいます。

 

最近見たブログにあった言葉に、感銘を受けました。

「自分を大切にするということは、怠けることではなく、自分を磨き続けること」

 

輝いている自分のロールモデルを沢山見つけて、

見習いたい部分はなりきるつもりで真似をして、

自分が憧れる様な自分になりたいと思います。

 

自分がまだ、変われるのかと考えるとわくわくします。

人は変わらなければ後退しているのと同じです。

これからの私は、変わっていきたい、楽しく過ごせる様に変えていきます。

 

 

 

 

責任の在り処

最近、会社の方に全てあなたが悪いと言い切られまして。

 

言い切れる自信はいつもどこからくるのか不思議に感じます。

 

何か問題が起きて、それを誰かだけが悪いってことは無いと思います。

 

無いとは思いますが、誰かのせいにするよりもどんな事が起きても全て自分のせいだと思う方が気が楽です。

 

なぜ、そのほうが気が楽なのかと考えると

・自分のせいなら自分が気持や行動を改めたら改善できるから

・誰かのせいだとして、それに対して改善を求めることが気が重いから

・反省したフリをして、なおすもなおさないも自分次第にできるから

 

結局、問題がある中で他人が悪いとしても言わない、改善を求めない、伝えないという行動をしていると問題解決にはなっていない。

他人に改善を求めるということは、自分もそれに対して真剣に、真摯に、自分の発言の責任を負わなければなりません。

自分に責任を持つというのは、その発言をする覚悟が出来ているということです。

普段の生活で自分の発言の重みを考えずに話していたということがわかりました。

 

覚悟を持って話をする。

それを大切にしていきたいと思います。

 

 

他人に迷惑をかけない

他人に迷惑をかけないっていう言葉がどうしても昔から自分にフィットしない。

 

他人とかかわらずに自力で生きることと、迷惑をかけないことは噛み合わない。

 

迷惑をかけてない人間なんていないし、その迷惑を受け入れてくれたことやしてくれたことに対して感謝や謝罪ができるかどうかが重要だと思う。

 

そうやってうけいれたり受け入れられたりしながら人間はみんな一緒に過ごしていくんだろうなと思う。

 

ただ私は他人がしてくれたことに対する感謝や謝罪の念が薄いことも自覚はあるつもり。

 

どうも周りの人物に対する思い入れや興味が薄い。

 

自分自身にだけ興味が向いているからだと思う。

自身が無い分自己分析に走りがちで、他人と比べがち。

他人を自分と比べる材料としてだけ使っていると思う。

 

過去いじめられていた経験が人に期待しない、興味を持たない習性にしたんだろうか。

そんな一面もあるだろう。

 

でも今の私は他人に興味を持ちたいと感じている。

なぜ持ちたいと思うのか、他人に自分があたえられてばかりだったことに気がついたからかな。

自分ごときが他人に与えられる様なこともものもないと思っていたけど、

自分の中で自信が無いだけでそこまで低く見ている人は今までいなかった。ちゃんと対等な人間として扱ってくれた。

ちゃんと影響を与えているし自分が与えていることがあることがわかった。

 

自分がなにかを与えて他人の新しい反応が見られることや、自分の存在感を出すことが未知の挑戦すぎて怖い。

 

存在感を出すというのは自分の発言に、意見として責任を持つこと。

 

周りに引っ張られるのではなく自分が主導して動く時がきた。

なりたい自分になるために

今までの自分を変えたいからブログを始めることにしました。

 

人にものを伝えることが苦手でめんどくさがりなので、伝えることが当たり前になるように練習するためです。

 

何かをやりきったこともなく、中途半端に育って二十数年。一つくらい何かをきちんとやりたいと思います。

 

自分の目指す姿をこれから叶えていくため、具体的な努力をしていくために、目標を明記します。

 

★将来的(10年後)に叶えたい夢

両親に家を買うこと/年に1度海外旅行にいけるくらい余裕のある収入

 

★これからなりたい姿

成長し続ける人/楽しめる人/自分の信念を曲げない人/理論的に問題解決出来る人/自分の好き嫌いがわかって選べる人/さりげなく気遣いができる人/前向きな人

 

なりたい姿は絞り込めませんでした。

全部なりたい。

 

よく考えます。