自分の長所
なかなか自尊心が高まらず、日々もがいています。
周りの人が怒るのは、私の低い能力のせいだとか。
自分と他の人の能力値が違いすぎて同じことが出来ない能無しなんだとか。
暗いにもほどがあることばかり考えています。
反省はしているはずですが、落ち込んで、自分を貶めている割に改善をして
自分を救うことをしていません。
今までちゃんと反省をしているつもりでしたが、何も変えられていなかったことがやっと理解できました。
怒っている人たちは決まって「今まで何度も言ったけど」といいます。
私の中で納得できていなかったから改善に至らなかったんだと思います。
自分が消化できているか、出来ていないかで言われていることの意味は全く違って聞こえました。
すいませんと言っても、怒られる。改善します。と言っても怒られる。
どうしろっていうんだと正直思っていました。
それは自分が招いた結果なんですよね。
向こうからすれば、何度も言っていることだし、すいませんと言っているならそろそろ改善しなさいよと言うことですね。
子供の頃からの癖で、怒っている人の言うことはまともに聞かない。という癖があることに最近気が付きました。
感情に任せて怒っている人の言うことをまともに受け止めていたら精神崩壊しますから、それも大切なことです。
ですが、感情に任せた暴言と、怒っている原因は別物です。
暴言だけはスルーして、原因を理解、分析して、納得出来たなら改善のために行動をしていきたいと思っております。実際は・・・なかなか出来ずにいますが・・・。
そこまで言わなくても・・・なんて思って反抗心と言いますか
腹立たしい気持ちが湧いてきます。
反論する準備も無いのに口をついて出る不用意な言葉で、より怒らせるというパターンがすっかり完成しています。
ただ、さんざん怒りを放ってくれた方のおかげで気がついたことがありました。
言い方は人生でなかなか聞く機会もないくらい強めですが、
私はそれに傷ついたと主張するばかりで、その方が傷ついていることを考えられていなかったのだとわかりました。
そういえば、思い当たることが沢山ありました。
バイト先でもこのような怒られ方をすることが多く、結果居心地が悪くなり辞めるパターンでした。
私は被害者のフリをして、そのような怒り方をする人物を心の中で責めていました。
でも逆に、そんな怒り方をしてしまうくらい私の態度が悪かったという側面も見えました。
どこに行っても言われたことを言われたとおりにやらないという不思議な新人でした。
なぜやらないのかというと、合っているのかわからなくて怖い、怒られたくない、
指示があってからでないと動きたくない、失敗して目立ちたくない、おせっかいなことをしたくない、という妙に高いプライドでした。
魅力的な人になりたい。と思って、いじめられっ子だった小学校、中学校を出てからは
なりたい人物像を思い浮かべて、そこに近づくべく振る舞ってきました。
しかし会社にはいってからは、1年目には、急な仕事、徹夜ロケ、分からなさすぎる現場、おいかける背中の無い不安、至らない自分、上司の罵声、という環境に影響を受けてすっかりひねくれてしまいました。
当時はクリエイティブに対して強いこだわり、面白いものを作りたいという想い(実力は別)、ひとつひとつ一生懸命に取り組みたいという想いを持っていました。
その中で日々かけられる言葉は、大体でいい、カンタンでいい、無くなってもいい仕事、ダサい、つまらない、出せたらいい、、、
一生懸命考えたり、時間をかけたりすることが馬鹿らしくなり、思考を停止しました。
全部上司が悪い、私は悪くない、私は仕事が出来ている、上司はできていない。
今まで、他人のせいにすることだけはやめようと想いながらすごしてきましたが
気がつかないうちに自分のルールまで破っていました。
思考を停止して、他人のせいばかりにしている私は、成長どころか後退していたのかもしれません。
面白い企画は考えられない、制作物は雑、スケジュールぎりぎりでの制作、報連相をしない、挨拶をしない、気をきかせない。
自業自得です。自信なんてあるわけもなく。
今私は何ができるのか、得意なのかわかりません。
すっかり萎縮した私は、より何も出来ないループに陥り、怯えながらも何もせず、
ただただ、人として落ちぶれていくだけの日々に落ち込んでいます。
最近見たブログにあった言葉に、感銘を受けました。
「自分を大切にするということは、怠けることではなく、自分を磨き続けること」
輝いている自分のロールモデルを沢山見つけて、
見習いたい部分はなりきるつもりで真似をして、
自分が憧れる様な自分になりたいと思います。
自分がまだ、変われるのかと考えるとわくわくします。
人は変わらなければ後退しているのと同じです。
これからの私は、変わっていきたい、楽しく過ごせる様に変えていきます。